約 97,223 件
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/1106.html
[部分編集] ながこぁ!! 使用ゲーム 三國志Ⅸ シナリオ・担当勢力 英雄集結・改 長野業盛軍(永安) シナリオの設定 上級 動画形態 紙芝居あり 登録武将 東方Project・戦国武将・ゆっくり? など 抜擢武将 版権キャラ など 史実武将の扱い - クリア条件 統一 縛り 下記参照 投稿時期 2012年10月6日~ 投稿者名 旭鈴夜 マイリスト ながこぁ!! ニコ動関連タグ 【ながこぁ!!】 関連サイト - 関連作品(前作) 日本文化 家紋 japanese family crests(その時歴戦が動いた参加作品: 動画 )東方×家紋(第4回東方ニコ動祭参加作品: 前編 ・ 後編 ) +初回外部視聴 http //www.nicovideo.jp/watch/sm19055751 概要 縛り シナリオの変更点 ものがたり おもな登場人物初期メンバーと、非登録のみなさん コメント欄 [部分編集] 概要 三国志世界に降臨した日本の戦国武将が、東方キャラや三国志武将とともに、カオスな世界で戦っていく三国志IX闇鍋プレイ。 「サンゴクニカイドウ」で配布されたシナリオを改変している (そもそも、本wikiニカイドウのコメ欄で配布を打診したのがうp主である)。 「この世界」に流れ着いた人物は、三国志世界の人物、日本の戦国時代から来た者、 そして幻想郷から来た者の三種類がいるとされている(第0話) 初期勢力所属武将数削減による大量在野武将の存在はニカイドウ同様。 さらに勢力の「ランダム配置」によって、闇鍋の闇が深まっている。 タイトルの「ながこぁ!!」、「こぁ」が小悪魔を指すのはすぐわかるとして、 「なが」は…… 長野業盛!?という意外性というか通好みな人選。 うp主はおそらく「ネタを入れないと死んじゃう病」に罹患しているらしく、 スタートこそシリアス風に始まるものの、ストーリー・解説面においてもネタは多め。 歴戦ゲの他動画ネタ、東方ネタ、その他ニコニコ動画上のネタなどがマシマシである。 なお、うp主はキスメを嫁であると主張しており、それに絡んだネタ(うp主の叫び)も挟まれる。 縛り 0話で開示された縛りは以下の通り。 軍師は小悪魔固定 ニューヒーローに兵力贈呈(補充量は気分による。補充後3万以上になるよう調整) 撤退を目的とした贈呈(土下座外交)なし 登用に関する縛り盗用なし 登録武将の登用には一定の条件を設ける 一般武将についてはノリと勢い(捕虜はおおむね釈放、在野からの登用が主になる模様) ノリと勢いで追加縛り有 シナリオの変更点 ニカイドウシナリオからの主要な変更点は以下の通り。 兵力などの調整 勢力の配置転換、勢力の変更劉禅を勢力から削除。鄧艾・曹丕・司馬懿が勢力として参加 曹操・何進・董卓・四英傑および登録勢力以外は配置を抽選王( 窓の杜 )まかせ 港や関所の勢力変更 ものがたり 気が付けば、見たこともない世界。 小悪魔に助けられた長野業盛は、周囲の状況も十分に呑み込めないまま、 小悪魔や「爺や」に推戴され、永安であわただしく太守として立つことになる。 業盛が倒れていた場所には、次のような謎の手紙があったという。 「 愚かな侍とその悪魔よ、汝らには罪がある。 その罪を償うためにあなたたちにはこの世界を統一 しこの異変を解決し元通りにせよ。 もし失敗すれば元の世界にもどれずほかの世界も崩 壊…してしまうのだ…。 頼む…この世界…幻…郷とほかの…を救っ …てくれ…。 糸 」 果たして、「罪」とは何か? 「糸」とは誰か? この世界の秘密とは? 業盛と小悪魔が率いる勢力の物語が始まる…… おもな登場人物 初期メンバーと、非登録のみなさん 長野業盛 長野軍君主。目が覚めるとそこは三国志世界であった。史実では14歳で家督を継ぎ19歳で自刃した。これは父・業正との「命運が尽きたら潔く自刃」という約束に従ったもの。能力値は革新をベースに調整。 初期能力 統率 60 武力 82 知力 55 政治 31 奮戦・突破・斉射・造営・鼓舞 小悪魔 長野軍初期配下武将、固定軍師。町人からは「お嬢さん」と呼ばれていた。多種多様な性格付けがされるキャラで、そのネタでやたら増殖する作品もあるが、本作では真面目路線らしい。治療は小悪魔の嗜み。 初期能力 統率 43 武力 45 知力 85 政治 50 斉射・造営・混乱・罵声・鼓舞・治療 爺や 武将としてではなく紙芝居上での補佐役。日本の戦国時代から流れ着いた。武田家の兵だったらしく、長野業正・業盛親子と戦場でまみえたこともあったという。 饅頭&不死鳥 説明文欄で茶々を入れているのは、前作の家紋動画から輝っくり(ゆっくり輝元)とフェニックス天庵様。 コメント欄 おお、おめでとうございます -- 那智 (2012-10-21 20 10 47) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/166.html
<魏 228年> <蜀漢 228年> <呉 228年> 228年 黄武七年(呉) 皇帝 曹叡(魏) 呉王:孫権(呉大帝) 三公(呉) 丞相:顧雍(前太常) その他の要職(呉) 太常:陳化(兼尚書令)? 光禄勳:? 衛尉:? 太僕:? 廷尉:? 大鴻臚:? 宗正:? 大司農:? 少府:? 大司馬:呂範→(死亡) 大将軍:? 驃騎将軍:? 車騎将軍:? 衛将軍:? 主な事件 七年春三月、孫権の子の孫慮を建昌侯に封じる。東安郡をやめる。《三国志呉書呉主権伝》 夏五月、鄱陽太守の周魴が偽りの謀反をし魏將の曹休を誘引する。《三国志呉書呉主権伝》 秋八月、孫権は皖口に至り、將軍の陸遜に諸將を督させ、大いに曹休を石亭に破る。 大司馬の呂範が卒す。《三国志呉書呉主権伝》 是歲、合浦を改めて珠官郡と為す《三国志呉書呉主権伝》 是歲、將軍の翟丹が魏に叛く。孫権は諸將が罪を畏れて逃亡することを恐れ、令を下して「自今、諸將は重罪が三あれば、そうした後に議すことにする」《三国志呉書呉主権伝に引く江表傳》 誕生者 死没者 注 ▲PAGE TOP 227年<< >>229年
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/113.html
<魏 242年> <蜀漢 242年> <呉 242年> 242年 正始三年 (魏) 皇帝 曹芳(魏齊王・字蘭卿) 皇后 (空位) 三公 太傅:司馬懿(前太尉) 太尉:満寵(前征東將軍)→蒋済(前領軍將軍) 司徒:衛臻(前司空) 司空:崔林(前司隸校尉) 九卿 衛尉: その他の要職 大将軍:曹爽(前武衛將軍) 驃騎大將軍:→ 車騎將軍:王淩(前征東將軍) 地方官 荊州刺史:胡質 幽州刺史:母*丘儉 雍州刺史:郭淮 主な事件 正始三年春正月,東平王の曹徽が薨ず《三国志魏書三少帝紀》 三月、太尉の滿寵が薨ず《三国志魏書三少帝紀》 秋七月甲申、南安郡で地震《三国志魏書三少帝紀》 七月乙酉、領軍將軍の蔣濟を太尉と為す《三国志魏書三少帝紀》 冬十二月、魏郡で地震《三国志魏書三少帝紀》 誕生者 死没者 曹徽:東平王 滿寵:太尉
https://w.atwiki.jp/sangokusiwiki/pages/22.html
兵法書 なんというか、統一した事のない私が書いてもあまり意味がないように思いますが・・・ 人民統制 人民=仕官してくれている人の事を指します。できるだけ、更新時間と人望は聞き出す事。会議室や国宛に書いてくれないなら個宛で頼んででも書いて貰う事が大切。戦争時に非常に役に立ちます。更に絶対君主制を敷いて成功する国と失敗する国があります。厳格な国であれば、絶対君主制を敷くと結構成功する場合があります。ですが、絶対君主制の国は法を厳しくする代わりに見返りや君主の才能がないと失敗します。また、和んでいる国を突然絶対君主制の国に変えようとすると、大半は失敗します。失敗しなくても主力流出や士気低下などにつながりかりません。自分の国が向いているかは、自分で考えて無理ならば、軍師や家老(丞相)に相談するといいでしょう。 要害(三国志NET版) 三国志NET版では成都は天地の要害です。案外、洛陽・長安は要害に見えますが、案外柔です。長安などは史記のなかで張良や陳平が「洛陽は孤立してしまいますが、長安は四方は天地の要害でそこに移せば安全でしょう」と言っているが、三国志NETでは別。長安の城壁は950、成都は900、50しか変わらないのにも関わらず、長安は多方面から攻撃を受けるのにも関わらず、成都は永安・江陽以西(成都・永安・雲南・江州・江陽)を抑えておけば、完全に守ることが出来、それ以外からの侵攻が来ても、永安・江陽を抑えておけば外敵の侵入を許しません。まさしく、天地の要害と言えるでしょう。ここから天下の足がかりをつくると、統一確率がグンと上がります。 籠城 籠城ははっきり言って成功確率は滅多にありません。なぜならば、文武官問わず、猛攻撃してきたときに2倍の武将数(仕官者数)+米撒きなど・・・をする人が必要となり、圧倒的な人数差が必要です。第一、そんだけ圧倒的な人数差があれば、籠城しなくても打って出たら相手を滅ぼす事ができますし、(編集途中 中断)
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/92.html
<魏 258年> <蜀漢 258年> <呉 258年> 258年 甘露三年(魏) 皇帝 曹髦(魏高貴郷公) 皇后 卞氏(父は卞隆) 皇太子 三公(魏) 太傅:司馬孚(前太尉) 太尉:高柔(前司徒) 司徒:鄭沖(前司空) 司空:諸葛誕(前征東大将軍) →(謀反・死亡)→王昶(驃騎將軍) その他の要職(魏) 錄尚書事:司馬昭(大将軍) 太常: 光禄勳: 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府:→ 大将軍:司馬昭(大都督を加号) 驃騎将軍:王昶 車騎将軍:孫壹 衛将軍:? 地方官 冀州牧: 幽州牧: 并州牧: 青州牧: 徐州牧: 兌*州牧: 揚州刺史:? 雍州刺史:王経 交州牧:孫壹 主な事件 三年春二月、大將軍の司馬昭は壽春城を落し、諸葛誕を斬る。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 三月、詔して曰わく「古には敵に勝てばその屍を収めて京觀を築いた。昏逆を懲らし武功を明らかにするためである。漢の孝武元鼎中には、桐鄉を改めて聞喜とし、新鄉を改めて獲嘉と為す。大將軍は六戎を綜覧し、丘頭に軍営を置いた。丘頭を改めて武丘と為す。武をもって亂を平定し後世忘れないようにする」《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 夏五月、大將軍の司馬昭に命じて相國と為す。晉公に封じ、食邑八郡。九錫を加える。司馬昭は前後九回に渡って讓り、沙汰止みとなる《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 六月丙子、詔して曰わく「昔、南陽郡の山賊が擾攘し、故太守の東里袞を質として脅かさんとする。功曹の應余は一人袞を担いで逃げ難を免れた。余は顛沛殞斃,殺身濟君.其下司徒,署余孫倫吏,使蒙伏節之報《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》余字子正,天姿方毅,志尚仁義,建安二十三年為郡功曹.是時吳、蜀不賓,疆埸多虞.宛將侯音扇動山民,保城以叛.余與太守東里袞當擾攘之際、迸竄得出.音即遣騎追逐,去城十里相及,賊便射袞,飛矢交流.余前以身當箭,被七創,因謂追賊曰:「侯音狂狡,造為凶逆,大軍尋至,誅夷在近.謂卿曹本是善人,素無惡心,當思反善,何為受其指揮?我以身代君,以被重創,若身死君全,隕沒無恨.」因仰天號哭泣涕,血淚俱下.賊見其義烈,釋袞不害.賊去之後,余亦命絕.征南將軍曹仁討平音,表余行狀,并脩祭醊.太祖聞之,嗟歎良久,下荊州復表門閭,賜穀千斛.袞後為于禁司馬,見魏略游說傳《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦に引く楚國先賢傳》 六月辛卯、大いに淮南之功を論じ、封爵行賞があった。各々格差があった《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 秋八月甲戌、驃騎將軍の王昶を司空と為す《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 八月丙寅、詔して「夫養老興教,三代所以樹風化垂不朽也,必有三老、五更以崇至敬,乞言納誨,著在惇史,然後六合承流,下觀而化.宜妙簡德行,以充其選.關內侯王祥,履仁秉義,雅志淳固.關內侯鄭小同,溫恭孝友,帥禮不忒.其以祥為三老,小同為五更.」車駕親率司,躬行古禮焉《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 是歲、青龍、黃龍が頓丘、冠軍、陽夏縣の境の井戸の中に見られた《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》 この年、曹奐を安次県常道鄉公に封じる。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 六月甲寅、曹奐は洛陽に入る《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 誕生者 死没者
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/153.html
<魏 250年> <蜀漢 250年> <呉 250年> 250年 嘉平二年(魏) 皇帝 曹芳(魏) 皇后 甄氏(文帝皇后の甄氏の兄甄儼の孫娘) 皇太子 三公 太傅:司馬懿(前太尉) 太尉:王淩 (前司空) 司徒:高柔(前司空) 司空:孫禮(前司隸校尉)→(死亡) 九卿 大司農:? その他の要職 大将軍: 車騎將軍:→郭淮(前征西將軍) 驃騎將軍:→孫資(特進) 衛将軍: 地方官 荊州刺史:? 司隸校尉:→ 主な事件 二年夏五月、征西將軍の郭淮を車騎將軍と為す《三国志魏書三少帝紀》 冬十月、特進の孫資を驃騎將軍と為す《三国志魏書三少帝紀》 十一月,司空の孫禮が薨ず《三国志魏書三少帝紀》 十二月甲辰、東海王の曹霖が薨ず《三国志魏書三少帝紀》 十二月乙未、征南將軍の王昶が長江を渡り、吳を攻める。勝利を収める《三国志魏書三少帝紀》 誕生者 死没者 曹霖:東海王 孫禮:司空
https://w.atwiki.jp/sengokusi/pages/189.html
コーエー風の小規模三国志シナリオ。シナリオ0~4、ランダム版の6本立て。壮大なBGMが雰囲気を盛り上げる。 ランダム版については、シナリオ開始当初の条件イベントによる各種選択により初期状態が変化する意欲作。 あらすじ 西暦196年 曹操は献帝を奉戴し、許昌に遷都する。今まさに飛躍の時を迎えていた。 しかし、皇帝の座を狙う袁術、そして呂布が連合して立ち塞がる。 曹操は先鋒として豫州刺史・劉備を送り込んだ。 最大勢力である袁紹は、北方の雄・公孫サンと熾烈な争いを繰り広げていた。 袁紹が優れた人材を集める一方で、公孫サンは名士を冷遇。 かつて公孫サンが殺害した劉虞の子・劉和も袁紹に味方し、形勢は傾きつつあった。 孫策は許貢ら不穏分子を徹底して排除することで、勢力を急速に拡大していた。 江東を制圧するに及び、その矛先は父の仇である黄祖に向かう。 黄祖を庇護している劉表は、荊州全土の支配を目論み、手つかずの南を窺う。 だが荊南の民心は、劉表に恨みを持つある男が掌握していた。 西方では、劉焉の後を継いで劉璋が益州牧に就任。 配下の張魯は凡庸な彼を見限り、漢中で独立を果たす。 それでも討伐に向かえぬ程に益州は不安定であり、大乱が起きるのは時間の問題であった。 (OPメッセージより引用) 入手先 戦国史アップローダー 備考 FE専用 西暦192年、196年、211年、227年、271年開始のメインシナリオと 初期勢力図がランダムで決まるおまけシナリオの計6本 シナリオ名: 天命の帰趨 作者: 順平 現バージョン: 1.4 最終更新: 2015年10月10日更新 動作環境: SE○ FE◎ 旧× 規模: 中国大陸 開始年月: 196年3月 大名家数: 86 城数: 85 武将数: 611 攻略難易度表(難 S ~ F 易) シナリオ0 A:劉備 孔融 黄祖 劉和 董卓残党 張津 B:馬騰 韓遂 五斗米道 華キン 黒山 劉寵 C:袁術 呂布 公孫度 張楊 張繍 臧覇 士燮 D:孫策 公孫サン 劉表 劉璋 E:曹操 袁紹 キャプチャ画像 リプレイサイト 関連項目 以下、加筆求む
https://w.atwiki.jp/pixiv_sangokushi/
<pixiv三国志 武将名簿> count【 - 】 pixiv内企画「pixiv三国志」の登録武将の名簿です。 |・現在どんな武将がいるのか 描きたい武将は余っているか 等、お役に立てて頂ければ幸いです。 2012/07/03 ※現在こちらの管理を主催様に一任しようと許可を求めていますが、 7月中にお返事を頂けなければ削除したいと思います。 誠に勝手ですがご理解頂けますようお願い致します。 もしお返事を頂けなかった場合に代わりに管理をお願い出来る方がいらっしゃいましたら pixiv_sangokushi☆mail.goo.ne.jp(☆を半角@に変えてください) こちらまでご連絡を頂けますと助かります。 よろしくお願い致します。 編集はメンバー申請を頂いた方のみとなっていましたが、そのメンバーも削除させて頂きました。 もし編集されたい方がいらっしゃいましたら右上リンクより申請してください。 なお、許可が下りるのは武将登録をされた方のみになります。 お手数ですが、「pixiv内でのお名前・描かれた武将名(一人で結構です)」をご記入頂きますようお願いします。 登録人数(2012/07/03 20 30現在) 魏 36人 呉 33人 蜀 29人 袁 5人 西涼 6人 後漢 7人 董卓軍 1人 他 7人 オリジナル 3人 合計 127人 まずはこちらをお読みください。 参加者様各位 利用規約 pixiv三国志内の総合規約 予告板について 更新情報 wikiの使い方 @wikiの基本操作 用途別のオススメ機能紹介 @wiki ご利用ガイド よくある質問 @wikiへのお問合せフォーム
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/74.html
<魏 221年> <蜀漢 221年> 221年 建安二十六年(漢)→章武元年(蜀漢) 皇帝 劉備(漢昭烈帝) 皇后 吳氏 皇太子 劉禅 三公(蜀漢) 丞相:諸葛亮(前軍師将軍) 司徒:許靖(前太傅) その他の要職(蜀漢) 錄尚書事:諸葛亮 太傅:許靖(漢中王時)→ 太常:賴恭(漢中王時) 光禄勳: 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府:王謀(漢中王時) 大将軍: 驃騎将軍:? 車騎将軍:張飛→(死去) 衛将軍:? 主な事件 章武元年夏四月、大赦、年を改める。諸葛亮を丞相、許靖を司徒と為し、百官を置き、宗廟を立てる。高皇帝以下を祀る。《三国志蜀書先主伝》 五月、皇后に呉氏を立て、子の劉禅を皇太子と為す。《三国志蜀書先主伝》張氏を太子妃と為す。《三国志蜀書二主妃子後主敬哀張后》冊に曰く五月辛巳、丞相諸葛亮に節を持たさせ印緩を授ける、師傅として聴き敬うべしと。《三国志蜀書後主伝》 六月、子の劉永(劉備の子・劉禅の庶弟)を魯王、劉理(劉備の子・劉禅の庶弟・劉永とは異母)を梁王と為す。《三国志蜀書先主伝》 六月、車騎將軍張飛は側近のものに害される。《三国志蜀書先主伝》 秋七月、関羽を襲った孫権を憤り、遂に諸軍を率いて吳を討つ。孫権は書を遣わして和を請うが、劉備は怒り狂って許さず。呉將の陸議、李異、劉阿等は巫・秭歸に駐屯した。將軍の呉班﹑馮習は巫から攻めて李異等を破り、軍次に秭歸に向かった。武陵の五谿蠻夷に使者を遣わし兵を請う。 誕生者 死没者
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/48.html
197年 建安二年(漢) 皇帝 劉協(漢献帝) 袁術(仲皇帝) 皇后 伏寿(琅邪郡東武県・父の伏完は不其侯、桓帝の娘陽安公主を娶る) 皇太子 (空位) 三公(漢) 太傅:(空席) 太尉:(空席) 司徒:趙温(前衛尉・194~208) 司空:曹操(196~209) その他の要職(漢) 録尚書事: ■曹操(司隸校尉・196~?) 太常: 光禄勳:→ 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府:→ 大司馬:張楊(前安国将軍・196~198) 大将軍:韓暹?/袁紹(自称・197~202) 驃騎将軍:? 車騎将軍:楊奉(196~) 行車騎将軍:曹操? 衛将軍:董承 地方官 司隸校尉:曹操(司空・行車騎将軍・196~) 豫州刺史:郭貢? 河南尹:駱業? 徐州牧:? 冀州牧:袁紹(191~202) 兗州牧:曹操?(前東郡太守) 荊州牧:劉表(192~208) 主な事件 二年春正月、曹操は宛に至り、張繡は降伏するが後悔し、復反く。曹操は戰って敗れ流矢にあたる。長子曹昂、弟の子である曹安民は害に遭う。曹操は兵を引き舞陰に還る。張繡は騎兵を率いて来攻するが擊破される。張繡は穰に走り劉表と合流した。曹操は諸將に私は張繡等が降伏したとき人質を取らなかったばかりに失敗した。私は敗因を知った。諸卿見ていてくれ。今後また敗れることはないだろう」遂に許へ還る。《三国志魏書武帝紀操》 曹操の乘馬は絕影という。流矢にあたって頰及足に傷を負う。また曹操も右臂を傷つく。《三国志魏書武帝紀操に引く魏書》曹昂は騎馬に乗れなくなり馬を曹操に進呈する。曹操は故に免れた。曹昂は害される。《三国志魏書武帝紀操に引く世語》舊制では三公が兵を領し謁見する際は、皆首の前で戟を交えた。曹操が張繡を討つため天子に謁見した時復古された。曹操は以後朝見することはなかった。《三国志魏書武帝紀操に引く世語》 曹操が舞陰から還えると、南陽、章陵の諸縣はまた張繡について離反した。曹操は曹洪を遣わして擊つも利あらず、葉に還り駐屯する。張繡と劉表は数度侵略してきた。《三国志魏書武帝紀操》 建安二年春、袁術が自ら天子を称する。《後漢書孝献帝紀》袁術は淮南で稱帝する。人を遣わして呂布に告げたが呂布は使者を捕らえて其書を上奏した。術は怒り布を攻める。布は破れる。《三国志魏書武帝紀操》 三月、袁紹は自ら大将軍と為す。#2《後漢書孝献帝紀》 夏五月、蝗。《後漢書孝献帝紀》 秋九月、漢水が溢れる《後漢書孝献帝紀》 秋九月、袁術は陳に侵入し、曹操は東征する。袁術は曹操自らが来たと聞いて軍を棄てて逃走する。其將である橋蕤、李豊、梁綱、樂就を留める。曹操は蕤等を撃破し皆斬る。袁術は淮河を渡って逃げ、曹操は許に帰還する。《三国志魏書武帝紀操》袁術は陳王劉寵を殺す。#1《後漢書孝献帝紀》 冬十一月、曹操は自ら南征し宛に至る。劉表の將である鄧濟は湖陽に拠っていたが之を攻め破る。鄧濟を生け捕る。湖陽は降伏した。舞陰を攻め、之を下す。《三国志魏書武帝紀操》淯水に臨み、亡き將士を祭る。流涕し、皆感慟。《三国志魏書武帝紀操に引く魏書》 この歳、飢饉。江淮の間に民相食う惨状。孫策が使いを遣わし奉献する《後漢書孝献帝紀》 誕生者 死没者 注 *袁術は陳に侵入した際、陳王劉寵を殺したものと思われる。 *この前年、三国志魏書武帝紀には十月頃曹操が大將軍を袁紹に譲った記述がある。詳細は不明。 ▲PAGE TOP 196年<< >>198年